「田部グループ」ってどんな会社?[鳥取・島根のリーディング企業2023]

編集部あつきち
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働いてみたい注目企業40社!就活の必携本「鳥取・島根のリーディング企業2023」

みなさんこんにちは、鳥取・島根のタウン情報誌「ラズダ」編集部です。

ラズダとっておきの別冊本「鳥取・島根のリーディング企業2023」が山陰の各書店にて発売中です♪

鳥取・島根には業種を問わず、“山陰から世の中を元気にしたい!!”と本気で考えている企業がたくさん。

本誌で紹介しているのは、山陰を、日本を元気にしよう!という熱い想いを持つ40の企業。「この企業で働いてみたい」「こんな人たちと仕事がしてみたい」そんな企業がきっと見つかる就活情報誌です。

今回は「鳥取・島根のリーディング企業2023」の中から、私が特に気になった企業をピックアップ!新卒就活、転職、UIJターンの参考にしてみてくださいね♪

「田部グループ」ってどんな会社?

地域の自然・人を想い新たな時代を切り拓きながら成長

550余年のたたら製鉄が礎常に進化を続けながら食・住・地域開発事業の多角化へ

島根県雲南市吉田町、松江市などを拠点に、山林関連事業、住宅・造園・環境緑化事業、外食FC運営、特産食品の製造販売などを手がける「株式会社田部」。

それぞれの事業に特化した活動と顧客サービスをより充実させるため、分社化に歩みを進めました。2019年設立の「株式会社たなべの杜」は、個人邸の新築・リフォームの設計施工を中心に、不動産の開発・販売・賃貸事業、公共施設の環境緑化工事まで幅広く展開。20年設立の「株式会社TANABEグローバルキッチン」は、1972年に山陰エリア第1号店を出店させた「ケンタッキー・フライドチキン」をはじめ、「ピザ・ハット」、「マネケン(ベルギーワッフル)」と世界的外食FCの運営を、中国5県、大阪府、兵庫県で展開しています。

そして21年設立の「株式会社たなべたたらの里」は、保有する山林の維持管理、特産品の製造販売、この地で550余年培ったたたら製鉄文化を活用し、中山間地の活性化に挑んでいます。この3社を統括するのが、株式会社田部です。

自然の恩恵を最大限に生かしながら企業城下町として発展

田部グループを経営する田部家は、たたら製鉄で栄えた日本有数の山林王で知られています。祖先は鎌倉時代の1246年、紀州熊野(現在の和歌山県)から旧吉田村に入部したと伝えられ、室町時代の1460年、初代の田辺彦左衛門が、神夢により川で砂鉄を採り集め、製鉄を始めました。

古来、鉄は人の暮らしに一番身近な金属。島根県南部の中国山地一帯は、良質な砂鉄が採れ、木炭の原料となる森林に恵まれたことから、「たたら」と呼ぶ伝統技法による製鉄が盛んに行われていました。田部家が吉田村で興したたたら製鉄は、生産量が増大するにつれ、村の一大産業へと成長。製鉄に携わる人はもとより、砂鉄を採る人、山を育てる人、燃料の木炭を作る人、運搬用の牛馬の世話をする人など多くの従事者と家族が集まり、活気に満ちた企業城下町を形成していました。

江戸時代には、松江藩から屋号「前綿屋」、10代目から田部長右衛門の名を賜り、鉄師頭取を務めた田部家。本家住居跡の玄関前に今も整然と立ち並ぶ20棟の土蔵群は、江戸時代の繁栄ぶりを伝えています。

初代から25代続く田部家時代の風を敏感にとらえ新事業開拓でバトンをつなぐ

たたら製鉄は、1回の操業が3昼夜かけて行われます。田部家の鉄生産が最も盛んだった享和から文政年間(1802~1825年)には年平均87回操業しており、年間を通しほぼ毎日操業。

粘土で築いた炉に風を送り、1500度もの高温で砂鉄を溶かすには大量の木炭が必要。そのため、田部家は近隣の山々を次々と購入していき、江戸から明治にかけ、所有する山林は2万5000ha。同時に田畑1000ha、牛馬1000頭も所有し、たたら従事者は4000~5000名と、当時の村の人口の約半数を占めていました。

田部家をはじめ、櫻井家、絲原家が中心となり、出雲地方で生産される鉄は品質が良く、全国の鉄生産量の約8割を占めていましたが、明治時代になると原料の砂鉄に代わり、輸入の鉄鉱石を用いた大規模な製鉄業が主流となり、たたら製鉄は次第に衰退。田部家でも、明治維新を機に松江藩という最大の取引先を失って以来、規模を縮小しながら持ち堪えていましたが、大正12年(1923年)、21代目でたたら製鉄は一旦、終焉することとなりました。

「田部グループが現在営む事業は、たたら製鉄を営んでいた時代からつながっています」と話すのは、田部家25代目当主・田部グループ代表の田部長右衛門氏(43)。21代はたたら製鉄廃業を決断しましたが、家業を当時、産業用・一般家庭用の主燃料だった木炭の製造販売業へと舵を切りました。炉の炎は消しても、永くたたら製鉄で培った林業、製炭業、木材生産を新事業に据え、活路を見出したのです。

第二次大戦後の1946年、早くから経営の近代化を志していた23代が、株式会社田部の基礎となる丸田薪炭有限会社を創立。翌年には、現在の日新グループの母体・日新林業株式会社など複数企業を創立し、山林開発、構造材の合板製造などで林業の振興に貢献。後の建築・住宅事業進出へと繋がっています。

「23代は私の祖父にあたりますが、事業の多角化を推進したのはこの頃からです。家と会社を存続させるためには、事業をやって行かなければなりませんが、それだけではダメ。私費で病院を設立したり、大手新聞社に買収されかけていた島根新聞社(現・山陰中央新報社)を、自由で公平な意見を言うためには地元の資本で運営すべきと社主になったりと、いつも島根全体をどう成長させるのかを考え、行動した人でした」と語ります。

地域の誇れる文化を磨くたたらの里づくりプロジェクト 中山間地域の復活をめざす

1959年から社長を継いだ24代は、69年に島根放送株式会社(現・山陰中央テレビジョン放送)を設立し、メディア・IT事業へ進出しました。一方、72年には日本ケンタッキー・フライドチキンとFC契約を結んだのを契機に、外食事業へ進出。また96年には《たなべ森の鶏舎》を開設し、平飼い卵の生産や地域のこだわり食品の開発製造に着手しています。

25代目の田部長右衛門代表は、大学卒業後フジテレビ勤務をへて、2010年に帰郷し家業を継承。社長就任後は、会社のそれまでの事業や経営管理体制などをすべて見直す経営改革を約6年かけて行い、新たな田部グループ発足に導いています。「中には父が立ち上げた事業を閉鎖したものもあります。父からは、『時代に合わなくなった時は止めていい。そのかわり、人だけは守れ』と言われていました。私自身、経営で大切にしているのは、雇用を守るということ。事業は見直しても、社員のリストラはしません」と話す。

社長に就いて数年後、田部代表は、吉田中学校の生徒に講演を行っています。その際、全校生徒数が38名まで減少している事実に衝撃を受けたそう。かつては1万人以上だった町の人口も、今や10分の1まで減っており、生徒に夢のある話をするどころでは無くなってしまいました。その時、生徒たちに約束したのは「みなさんが大人になるまでに、地元に帰って来られるように、仕事を作り、賑わいを取り戻す」という事でした。

2016年にはたたら事業部を立ち上げ、2年後の18年、吉田町で約100年ぶりに「田部家のたたら吹き」を復活。一度は途絶えたたたら文化を未来に伝承するためです。

製鉄炉に木炭と砂鉄を交互に投入し、不純物を取り除きながら1昼夜かけ、取り出した鉧(ケラ)と呼ばれる鉄の塊は約150kg。それを原料に和鉄のゴルフパターとして商品化し、大きな反響を得ています。

たたら吹きはその後も年2~3回行われ、全国から訪れる一般の参加者も増大しています。「かつてのたたら操業を復活させるのではなく、今は刃物や小物を通し、たたら吹きで出来た和鉄製品の良さを、現代の人たちに知ってもらえたらと願っています。そして、それが生み出される吉田町に足を運んでもらうことから始めています」と田部代表。地域の100年先をみつめたプロジェクトが走り出しています。

「株式会社 田部」とは

「株式会社 田部」は、前身の丸田薪炭有限会社として1946年に創設された、田部グループの母体企業。たたら製鉄で培った木炭、薪など木工品の製造販売から始まり、1972年、日本ケンタッキー・フライドチキン(株)とのFC契約を機に、外食事業へ進出しました。

1992年に(株)田部に社名変更以降も、養鶏業を主体とした特産食品事業、住宅建設事業、環境事業、たたら事業などを立ち上げ、時代の変化に応じた多角事業を展開してきました。現在は、田部グループ全体の経営戦略および経営管理を行い、経理・総務部を置く松江本部、大都市を商圏に新規事業を行う東京事業部で構成されています。

東京事業部は、港区赤坂を拠点に、三ツ星シェフ監修のお取り寄せグルメ通販「BREJEW(ブレジュ)」を運営。

また、千代田区丸の内で、モダンな創作和菓子とこだわりの器、茶房を備えた店「HIGASHIYA man marunouchi(ヒガシヤ マン マルノウチ)」を運営しています。

「株式会社 TANABEグローバルキッチン」とは

中国地方でのケンタッキー・フライドチキン(以下KFC)、ピザハット、マネケン(ベルギーワッフル)の外食FC運営事業を(株)田部から継承した(株)TANABEグローバルキッチンは、2020年、広島県広島市を本部に設立されました。

コロナ禍でも新店舗が増えるKFCは、1970年の大阪万博と共に日本上陸。当時、そのおいしさを体感した(株) 田部の創業者(23代当主)、2代目社長(24代当主)が、“地元の人たちに楽しんでもらいたい”と、1972年、1号店の米子店(旧米子角盤町店)を開店しました。

「食を通じてお客様に喜んでいただき、幸せを届ける」を企業使命に、現在、KFCは広島県15店舗、島根県6店舗、鳥取県5店舗、岡山県8店舗、山口県①店舗(22年12月オープン)。

ピザハットは広島県10店舗、島根県3店舗、鳥取県2店舗、岡山県3店舗、大阪府4店舗、兵庫県6店舗、山口県1店舗(22年12月オープン)。マネケンは島根県1店舗を展開しています。

「株式会社 たなべの杜」とは

たたら製鉄の歴史と共に広大な森を育み、循環型の山林関連事業を展開する(株)田部は、2002年から建設業界へと裾野を広げてきました。

公共事業を中心に実績を重ね、個人邸の建築・造園外構工事、不動産事業にも幅を拡大。そして更なる飛躍のため誕生したのが、2019年設立の(株)たなべの杜です。

「山(杜)とまちを結び、杜と生きる社会の創造」をテーマに、無垢の木と緑に囲まれた住環境づくりを目指す同社では、営業部、建築部、不動産部、環境緑化部の各部署に専門知識をもつスタッフが在籍し、土地探しから住宅や庭づくりの立案、コーディネート、施工まで、自社一貫で行うのが強み。そのため一人ひとりの社員教育に力を注ぎ、セミナー参加、視察、資格取得など、スキルアップに向けての支援を積極的に行っています。

環境緑化部では、2021年4月、室内を緑化するグリーンレンタル事業がスタート。その中心で活躍する宇山弘美さんは、グリーンアドバイザー資格を取得しました。

「株式会社 たなべたたらの里」とは

雲南市吉田町は、田部グループの原点の地。2021年設立の(株)たなべたたらの里は、吉田町を起点に(株)田部が取り組んできた事業をさらに進化させ、100年先の町の姿を見据えた地域創生プロジェクトを推進しています。

山林事業部は、保有林を循環型林業で維持管理しながら、後世に継承。また、オフセット・クレジット(J-Ver)制度による森林の温室効果ガス排出削減、バイオマスボイラーでの山林資源の有効活用に取り組んでいます。

特産事業部では、たなべ森の鶏舎で平飼い有精卵の「彩り天祐卵」を生産。その卵を活かしたスイーツを開発製造しています。

そしてたたら事業部では、田部家560年に渡るたたら操業の100年ぶりの復活を起点に、ゴルフパター、刃物類などの現代の暮らしに合う高品質なモノづくりを通し、匠の技の次世代への継承をめざします。今後は観光・農業・教育・文化振興を含めた総合的な里づくりへの挑戦も視野に入れています。

求める人物像

●地域を活性化させて、盛り上げたい方
●様々な人とコミュニケーションをとるのが好きな方
●様々な業界や事業に興味がある方

【資料請求・お問い合わせ先】
採用直通TEL/0852-60-2539
採用直通 E-mail/tubokura@tanabeco.com

公式サイトはコチラ

企業概要

業種 飲食業・小売業・食品製造業・養鶏業・木材伐採搬出業・造林事業・建設業・造園外構事業・酒類製造販売業
事業内容 山林業、地域活性化事業、住宅・造園・環境緑化事業、外食FC運営、特産品の製造販売
創業 昭和21(1946)年11月25日
代表者 代表取締役 田部 長右衛門
社員数 230名(男164名 女66名)

田部グループ

タナベグループ
電 話:0852-60-2539(採用直通)
住 所:島根県雲南市吉田町吉田2407 [MAP]
情 報:HP

sponsored by 田部グループ

※掲載の情報は、記事公開時点の内容です。
状況の変化、情報の変更などの場合がございますので、最新の情報は店舗・施設のHPやSNSを確認するか、直接お問い合わせください。

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編集部あつきち

タウン情報ラズダ編集部

編集部あつきち

タウン情報ラズダ編集部。鳥取県米子市、白ネギがおいしい町出身。

好きな食べ物は旬の野菜とくだもの、大豆製品。夏に見るツヤッツヤなナスと、冬のぶっくり太ったカブを見つけると、うれしくてテンションが上がります!

取材先で感動した場所は隠岐の島「摩天崖」、思い出の取材先は境港市「ポパイ」と大田市「Cafe Asbach」。
偶然が生む発見が大好物!ハプニングは好きな方です!

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